おばあちゃんの百寿のお祝い
昨日は6月2日に百歳の誕生日を迎えた妻方のおばあちゃんの 百寿のお祝い がありましたので、妻の実家である滋賀県長浜市に、家族揃って出掛けて来ました。
大正4年生まれのおばあちゃんは、大東亜戦争やその後の復興期という激動の日本を1世紀もの間生き抜いて来たのです。
現在、日本には100歳以上の高齢者は6万人近く居るそうです。
決して少なくはない数字、今のうちに歴史に埋もれてしまいがちな事実や知識を少しでも多く残しておきたいものです。
今おばあちゃんは療養型の病院に入院しています。(今までの経緯記事)
2年前に脳卒中で倒れての緊急入院以来、初めての帰宅となりました。
とは言え、体力的な事も有り1時間程度の慌ただしい滞在となり、食事も流動食しか無理なので、ご馳走を目の前にして食べられないという少々可哀想な状況ではありましたが…
それでも親戚縁者・近所の方々が集まり、
楽しい時間が過ごせたのではないでしょうか。
私達家族は、おばあちゃんが元気な頃から大変お世話になっています。
気さくな人柄で話していても面白く、大好きなおばあちゃんです。
そんなおばあちゃんが入院して寂しい思いをしているのですから、出来るだけ見舞いに行くのを心掛けています。
が、子供達の学校や保育所の休みと行事の時に、私か妻かのどちらかが仕事の休みを取るとなると、私の休みと妻の休みが重なるのは月に1・2日程度となってしまいます。
そうなると、どうせ片道1時間を掛けて行くのですから、家族全員揃っての見舞いにしたい所ですので、最近ではどうしても月1回のペースでしか見舞いに行けないのが現状です。
おばあちゃんが亡くなってから、もっと見舞いに行っておけば良かったと後悔する事でしょう…
そんな見舞いに行ったある日、何気無く私はお婆ちゃんに、
「毎日寝てばっかりで、いつもは何してるん?」
と聞きました。
するとおばあちゃんから、
「お迎えが来るのを待っている。」
との返事。
散歩にでも連れて行ってくれる職員やボランティアの方を待っているのか???
怪訝そうな私の顔を見て、
「あの世からのお迎えを待っている。」
と言い直すおばあちゃん。
それでも一瞬何を言っているのか理解出来なかった私が、その言葉の意味する事に気付いた瞬間、ショックが走りました。
「何を言ってるんや、おもろいおばあちゃんやなあ。」
と言葉では取り繕いましたが、涙が溢れて来て我慢するのに必死です。
そうか、このベッドで、
おばあちゃんは毎日孤独の中、何時来るとも知れないその時を待っているのだ…
限られた時間しか一緒に居てあげられない私達。
他愛のない近況報告を話したり、小さい声でおばあちゃんも知っている童謡を皆で合唱したりするしか出来ませんが、少しは単調な日々の刺激になってくれればと思います。
いつも帰る時には、
皺クチャの顔を更に皺クチャにして泣くおばあちゃんを病室に1人残して行くのが辛くて堪りません…
この世に生を享けた瞬間から「死」に向かって生きて行く私達。
「死」は、万人に平等に与えられた「救い」だとも言うそうです。
私の大好きな漫画からの引用ではありますが、
「我が生涯に一片の悔い無し。」
と言って最期の時を迎えたいものです。
----- yuu -----
大正4年生まれのおばあちゃんは、大東亜戦争やその後の復興期という激動の日本を1世紀もの間生き抜いて来たのです。
現在、日本には100歳以上の高齢者は6万人近く居るそうです。
決して少なくはない数字、今のうちに歴史に埋もれてしまいがちな事実や知識を少しでも多く残しておきたいものです。
今おばあちゃんは療養型の病院に入院しています。(今までの経緯記事)
2年前に脳卒中で倒れての緊急入院以来、初めての帰宅となりました。
とは言え、体力的な事も有り1時間程度の慌ただしい滞在となり、食事も流動食しか無理なので、ご馳走を目の前にして食べられないという少々可哀想な状況ではありましたが…
それでも親戚縁者・近所の方々が集まり、
楽しい時間が過ごせたのではないでしょうか。
私達家族は、おばあちゃんが元気な頃から大変お世話になっています。
気さくな人柄で話していても面白く、大好きなおばあちゃんです。
そんなおばあちゃんが入院して寂しい思いをしているのですから、出来るだけ見舞いに行くのを心掛けています。
が、子供達の学校や保育所の休みと行事の時に、私か妻かのどちらかが仕事の休みを取るとなると、私の休みと妻の休みが重なるのは月に1・2日程度となってしまいます。
そうなると、どうせ片道1時間を掛けて行くのですから、家族全員揃っての見舞いにしたい所ですので、最近ではどうしても月1回のペースでしか見舞いに行けないのが現状です。
おばあちゃんが亡くなってから、もっと見舞いに行っておけば良かったと後悔する事でしょう…
そんな見舞いに行ったある日、何気無く私はお婆ちゃんに、
「毎日寝てばっかりで、いつもは何してるん?」
と聞きました。
するとおばあちゃんから、
「お迎えが来るのを待っている。」
との返事。
散歩にでも連れて行ってくれる職員やボランティアの方を待っているのか???
怪訝そうな私の顔を見て、
「あの世からのお迎えを待っている。」
と言い直すおばあちゃん。
それでも一瞬何を言っているのか理解出来なかった私が、その言葉の意味する事に気付いた瞬間、ショックが走りました。
「何を言ってるんや、おもろいおばあちゃんやなあ。」
と言葉では取り繕いましたが、涙が溢れて来て我慢するのに必死です。
そうか、このベッドで、
おばあちゃんは毎日孤独の中、何時来るとも知れないその時を待っているのだ…
限られた時間しか一緒に居てあげられない私達。
他愛のない近況報告を話したり、小さい声でおばあちゃんも知っている童謡を皆で合唱したりするしか出来ませんが、少しは単調な日々の刺激になってくれればと思います。
いつも帰る時には、
皺クチャの顔を更に皺クチャにして泣くおばあちゃんを病室に1人残して行くのが辛くて堪りません…
この世に生を享けた瞬間から「死」に向かって生きて行く私達。
「死」は、万人に平等に与えられた「救い」だとも言うそうです。
私の大好きな漫画からの引用ではありますが、
「我が生涯に一片の悔い無し。」
と言って最期の時を迎えたいものです。
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